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 ★NPOで、出会った事例紹介を致します。@何も拒まず、何も求めず施設で一生を終えた方・麻野 信子
★現場の活動では、忘れられない出会いがたくさんあります。こんな方の人生をご紹介したいと思います。その方は、2歳の時、高熱を出し、命は取りとめましたが知的障害を残しました。言葉の学習が遅れ3歳ぐらいから障害者施設で生活するようになりましが、敗戦直後の障害者施設は、とても悲惨な状況だったと聞きました。
 言葉の表現が十分出来ず声を出すたびうるさいと縛られ、個室に閉じこめられるといった生活を送ったそうです。そして、声を出すことさえ 抑制され、そうした生活を送っているうちに、20歳を迎えました。彼は、生まれて初めて性に芽生え、施設の職員を好きになりましたが、彼が女性を愛することなど、理解されず、当時、彼は病気と診断され精神科の病院に収容され、そこが彼のそれからの人生を過ごす場となりました。
 病院に送られた彼は、恋の苦しさと環境の変化に死ぬほど驚き抵抗したと思います。
その空しい抵抗は、保護室という暗い個室に収容される原因となりました。20歳の時、写したというただ一枚しか無い彼の写真は、とてもハンサムで 背の高いすらりとした青年でしたが、彼は、そこで日光と遮断され、背中が曲がる゛くる病゛になりました。
 彼と私とのお付き合いは、永眠する2年程前に知り合いました。言葉が話せないと聞いていましたが、お会いすると、とても 澄んだ きれいな目をした 穏やかな方 でした。
お会いした日から、一ヶ月に 一度程、面会したいと 申し入れ、好きな菓子を持って 訪問しました。(下に続きます。)

     〜町づくりをみんなでしょう!
            優しい安心して暮せる町に!
                 住み慣れた愛する地と人々を護ろう!

          2010・8・22・魔法の言葉〜ありがとう〜を添えて・・・

 NPO活動で、出会った事例紹介を致します。A何も拒まず、何も求めず施設で一生を終えた方麻野信子
★その施設は とてもきれいな海にある小さな島で、面会するときは、連絡船で島に渡ります。そして、知り合って2年が過ぎようとしたころ、彼の様態が急に悪くなり床につくようになりました。 
 私も、私的な時間が取れるだけ面会に行くことに致しましたが、少しずつ重症となり、その2ヶ月後には、永眠されました。
 永眠される少し前、死が近づき本人しか乗り越えられない峠の時期がきました。そんなある日、身体を拭き頭を洗っていますと苦しげな呼吸の合間でうっすらと目を開きじっと私を見つめています。そして、声の出せないはずの彼が突然大声で泣きました。
 主治医に「この方の泣声を聞いたことがありますか」と 訪ねますと、一度も耳にしたことがないと申されました。40年間過ごした施設で一度も泣き声を耳にしたことが無いと。愛しくて 一緒に 泣きました。

★そして、次の日、とても信じれないことがありました。
頭を洗っていると「おかあさん」 と。彼が 言ったように 聞こえました。
驚いて手を止めるともう一度「おかあさん」と。確かに彼は言いました。
その時から私は、こっそりその方の「おかあさん」にして頂きました。
それから2日後、意識が無くなり日曜日の夕暮れ時、静かに呼吸を止めました。
それは、本当にしずかな死でした。
彼は、最後まで、何も拒むことなく何も求めず残した言葉は「お母さんと」ただ一言だった様に思いました。
彼は、こうして、目に見えない心のプレゼントを山のように残し゛さよなら゛をしました。
2年間という短い出会いでしたが、私は、彼の生き方を尊敬し、彼をとても愛していました。
彼の一生は、戦後の日本の 福祉制度の中で、社会が 選択したものでしょうか。

         〜人々の尊厳を護ろう!尊厳ある生き方をしょう!
               尊厳は、人権だから、人の暮らしに関心をもとう!
                     住み慣れた愛する地を人々をみんなで護ろう!

          2010・8・22・魔法の言葉〜ありがとう〜を添えて・・・

 ★2012年度改正・介護保険の検討課題・・公益法人・さわやか福祉財団・堀田力理事長・時事通信・厚生福祉
★検討の視点は、「どうすれば利用者の尊厳が確保されるか」である。24時間いつでも必要なサービスを届ける短時間巡回型のサービスに切り替える必要がある。存在する施設は、「在宅化」・・・家の様に自由が保障されること。介護保険を3段階に簡素化し、廃止を目指すという検討課題も、余りにも近視眼的である。地方の仕組みをどうつくるかが、先行すべき課題であろう。などなど「打診」で掲載されています。
堀田先生は、私たちNPOを教育して頂き、常に方向性を示して下さっています。
★ここからの掲載は、麻野の独りごとです。
福祉現場は、いろいろ意見がありますが、本当の現場の声は、中々、反映されず、誰がどこで、どんな情報や根拠のもとで、いろんなことを決めているのか悲しい限りです。
この10年、高齢者の多くが普通の生活ができなくなっていることを考えてみて下さい。認知症の方達のケアも今までの理解と現場は大きく違っています。普通の暮らしが幸せなのです。
排泄は、トイレで、普通食を最後まで摂取でき、夜間は、良眠を確保され、昼間は、介護がしっかり整う。入浴は毎日、更衣は朝夕、美容師、歯科医、などの訪問もある。これが普通の生活ですが・・・・。決して、難しいことでも無いと思います。
この10年で、社会が驚くように変化して、高齢者にとって悲惨な状況ができあがりました。
研修会があっちこっちで開催されるが、大切な、ノーマライゼーションの理念は、現場として実践されず、どうなっていくのか不思議です。 

     〜町づくりをみんなでしょう!
            優しい安心して暮せる町に!
                 住み慣れた愛する地と人々を護ろう!

          2010・8・21・魔法の言葉〜ありがとう〜を添えて・・・

 ★阿波 大正浪漫 バルトの庭・紹介2010・8月11日・見学
★ドイツ捕虜収容所・映画バルトの楽園ロケセットが、鳴門大麻町に移築されました。
第一次世界大戦・・・収容所の中で芽生えた奇跡。
 ドイツ兵と板東の人々とのあたたかな交流がここにある。゛僕達は、生きる歓喜をしった。
 なぜか捕虜収容所で・・・゛大正時代にタイムスリップ!大正時代に、鳴門市板東の地で繰り広げられた国境を越えた心暖まる交流は、現在でも「地域の誇り」として息づいている。
 NPO法人・ドイツ村BANDOロケ村保存会の副理事長圃山俊作氏(はたけやま・しゅんさく氏)の案内で歴史などについて説明を頂き感動しました。
 
     〜町づくりをみんなでしょう!
            優しい安心して暮せる町に!
                 住み慣れた愛する地を楽園に!

          2010・8・21・魔法の言葉〜ありがとう〜を添えて・・・

 ★癌で死ぬこと。尊厳死とは・S-10「愛する家族に、辛い思いをさせない死に方」てあるのでしょうか? ゛大地゛のような死を感じた。
★死去する5日前のこと、いつものように、新聞をファイルするため、「エレベーターで降りたが、ふらふらして、もう、部屋から出れないな。人間、衰弱すと、こんなにも弱るのかな。」と、人ごとの様に話した。
 それでも、毎夜、短い日記を書くと、ぐっすり眠った。
 日記は、生前3日前まで続いたが、淡々と、その日の出来事を綴った記載で、感情的なことや遺言は、何も無かった。死ぬことについても何も話さなかった。
 そして、2010年3月17日、3時過ぎ、睡眠状態から昏睡状態に入り、その日の10時に永眠した。最後まで、穏やかに過ごし、゛無言の死゛を選択したのだ。麻野らしいと思った。
 家族や周囲の人達を愛し続け、死も受容しながら、自己決定の中で、「さわやか」に、永眠したのだ。
 尊厳死の遺言を残したが、尊厳死は、自己選択、自己決定の中でこそ叶うと、大地のような麻野を感じた。こうして、72歳の長い人生を終え、安らぎの世界へと他界した。
 〜みなさま、ありがとうございました。〜

       〜 人は、人に寄り添うことで、幸せを感じ
                  優しさの遺伝子を刺激される。〜
              
              2010・8・20・魔法の言葉〜ありがとう〜を添えて・・・

 ★2010年9月29日〜10月1日に、毎年開催される゛国際福祉機器展゛のご紹介
★昨年は、介護がロボットの時代と展示物に目を奪われましたが、今年は、その後の開発がどうなったかとても楽しみです。
誰でも入場でき、無料です。
9/30日のシンポジウムでは、「ヨーロッパの医療制度改革の動向と評価」・13時30分〜15時30分・シンポジウムは、申し込み必要です。
新しい機器は、また、参加後、情報提供致します。詳しい情報が必要な方は、国際福祉機器展のホームページで、ご覧下さい。
   
     〜人々が望む普通の生活を考えてみよう!
            高齢の方達がみんな普通の生活ができているか考えてみよう!
                               周囲の方達に関心をもとう!〜

         2010・8・20・魔法の言葉〜ありがとう〜を添えて・・・

 ★@゛さわやか゛に、初盆を!3番札所奥の院・藍染院住職さま。
A高野山での慰霊祭ありがとう!ございました。
★2010年8月12日・18時〜
今年は、さわやか徳島の理事長麻野の初盆でした。
死去して、早6ヶ月近くになりました。お盆の法要は、真言宗の藍染院住職さまにお世話になり、お経の後、「さわやか」の言葉についてお話しを頂きました。私たちの修行目的は、いつ何時でも「さわやか」に過ごせる人間になれること。そして、その修行は、誰でもどこででも、できることなのです。例えば、赤ちゃんのような瞳です。とのお話しに、皆さま感動致しました。そのご住職の瞳は、優しくて慈悲の心がにじみ出ていられ、初盆を迎えた麻野の幸せを感じました。
こうして、初盆は、さびしくなった家族の気持ちを癒し、勇気ずけて頂くことができました。
★そして、たくさんの友人の方々のお参りも心より感謝申し上げます。
★2010年8月4日・10時30分〜
高野山での慰霊祭もあり、慰霊塔にて豪華な慰霊祭をして頂きました。
会社人間だった麻野は、もと仲間と一緒にゼイエクトの慰霊塔に。
退職して12年にもなりますが、ご連絡を受け、高野山へ参りました。
高野山への道路事情は、とても良く車でのドライブも山の木々が素敵で、さすが世界遺産!
6人ものお寺さまの読経の中、不思議な世界に。金の板に書かれた麻野の名前が、キラキラ光り、地味なことを好んだ麻野が、照れているだろうと思いながら不思議な世界に心をおき感謝致しました。喜んでいると思います。ゼイエクトの皆さま、ありがとうございました。

 〜 人は、人に寄り添うことで、幸せを感じ
                  優しさの遺伝子を刺激される。〜
              
              2010・8・18・魔法の言葉〜ありがとう〜を添えて・・・

 ★2010年8月10日・・朝日新聞中島デスク来所・ありがとう!
★朝日新聞「人・脈・記」でお世話になった恩人(全国に、さわやか徳島の活動・時間通貨と居場所が紹介して頂いた。)であり、また、「魂中小企業」の作家でもある中島デスクが来県し、いろいろ活動取材を受けました。
 新しい福祉社会での今後のあり方や現状などなどお話しを聴いて頂き、また、NPO活動に力を頂きました。
 中島デスクは、今年、北海道札幌市の北星学園大学・日本でも有名大学で、5日間講義もされるそうです。カミソリみたいな感性や切り口のすがすがしさ。きらきら輝く視線。
 こうして、2年後に、また、徳島でお会いできるとは、幸せでした。ありがとう!
 著書の「魂中小企業」の本は、感動します。
 もちろん書店でも取り寄せますが、ご希望者に、5冊に限り゛さわやか徳島゛にご連絡下されば、ご送付致します。担当・・麻野信子・メールで、送り先・住所・お名前をお知らせ下さい。
(写真は、幸せの家・ありがとう)
       〜人々が望む普通の生活を考えてみよう!
            高齢の方達がみんな普通の生活ができているか考えてみよう!
                            周囲の方達に関心をもとう!〜

         2010・8・17・魔法の言葉〜ありがとう〜を添えて・・・

 ★癌で死ぬこと。S-10「愛する家族に、辛い思いをさせない死に方」てあるのでしょうか?
 全身衰弱が急速に進み終末期が近づいた。そんな中、「自己免疫も癌細胞の核の生存を助けるらしい。」と、話し「癌は、やっかいな病気だが、免疫療法をすると何だか身体が軽くなる。」と、免疫療法は継続していた。
 そして、2月に送付した血液が、増殖しないと研究室から連絡があった。異形白血球が原因とのこと。これで、いよいよ免疫治療も終わりと思ったが、本人は、継続したいと希望し、新しい研究所である大阪に出かけた。
 車の座席をベット代わりにしての往復4時間の長旅であった。
 淡路海峡は、どこまでも青く深く2人を優しく包み込んだ。「お昼にしょう。」と、カツカレーと注文し、少し驚いたが、ゆっくり時間をかけて、ほとんど全量摂取できた。
 食事量で喜んでいる妻に、「小さな幸せが良いのだ。」と笑っている。
 2時間ほどで、ナビは、知らない都会のビルを正確に案内した。一日かかり、新しい研究所での免疫療法の手続きをした。家路に着くと、さすがに疲れた様子だったが、「お疲れさま」と、元気をみせた。゛さわやか゛な表情だった。
  
     〜 人は、人に寄り添うことで、幸せを感じ
                  優しさの遺伝子を刺激される。〜
              
              2010・8・13・魔法の言葉〜ありがとう〜を添えて・・・

 ★癌で死ぬこと。S-9「愛する家族に、辛い思いをさせない死に方」てあるのでしょうか?
★死去する2ケ月前、緩和ケアを希望し診療所の医師に依頼をした。
倦怠感が強くなり、ステロイドについて相談したところ「生命予後が、3ケ月以内の方の治療ですが・・・?」と医師が本人に尋ねた。
後で分かったが、緩和ケアの医師は、若かったし、心のケアまで難しかった。しかし、麻野は、そのことについては、特に質問しなかった。
その頃から、下肢の浮腫が著明となり腹水が溜まった。心配している家族に「苦しくない。心配することは無い。」と話した。
几帳面な性格は、相変わらずで、6時に起床し21時に就床した。朝夕、きちんと着替え、昼間は、ベットから長いすに移動し、毎夜、簡単な日記を書いた。
孫が作った食事は、長い時間をかけ、うれしそうに食べた。
登校前、早朝、祖父を訪ねてくる孫をベランダで待った。
そんな麻野の様子は、幸せそうにすら見えた。
こうした日々の中、全身衰弱が急速に進み終末期が近づいた。

〜命の質・人生の質・生活の質をみつめよう!
        最後まで、尊厳(人権)をまもろう!
               命を大切にし、人らしい生活を守ろう!
                   自分の人生は、自分でデザインしょう!〜

       2010・8・13・魔法の言葉〜ありがとう〜を添えて・・・

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