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 ★敬老の日・103歳・佐瀧 豊子 さま おめでとう!

                                                                                                                                                                                                               





       ★徳島県知事・市長から、敬老の日のお祝いを頂きました。
素晴らしい103歳です。優しいご家族に護られ幸せに過ごされています。いつまでもお元気で、人生の先輩としてご指導下さい。
ちなみに、佐瀧さまは、ピアノ・絵画・俳句と多趣味で、5日前には、徳島県知事に、プレゼントしたいと徳島音頭を作詞され、歌って頂き、ご希望により、カモンページに書き込みました。
              〜命を大切にしょう!
                       人生を自己決定の中で、しなやかに暮らしましょう!〜

         2010・9.22・・ 魔法の言葉〜ありがとう〜添えて・・・

 ★国立大学法人徳島大学医学部より、臨床教授の委嘱依頼を頂き感謝申し上げます。
★私たち訪問看護ステーションの新しい知識などのご指導を頂いている、看護大学多田教授にご推薦頂き、臨床教授の委嘱依頼が麻野保健師に届きました。深く感謝申し上げます。
今後とも、ご指導頂き、心ある活動を深めたいと思います。

              〜みんなで支え合い、力を寄せ合い仲間を増やそう!  
                      安心して暮せる町づくりに頑張ろう!〜

          2010・9.21・・ 魔法の言葉〜ありがとう〜添えて・・・ 

 ★株式会社 アスティスさまより、車椅子を贈呈して頂きました。早速、お礼状をご送付致しました。〜ありがとうございました。〜
株式会社 アスティス
取締役執行役員
徳島営業部長  ・ 星川 義澄 さま
統括課長     ・ 片山 勇人 さま              

 貴社ますますご盛栄のこととお喜び申し上げます。
平素は、NPO活動に、深いご理解、ご支援を頂き、また、今回、格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。
 さわやか徳島は、゛時間通貨・ありがとう゛の無償のボランティア活動を柱とした事業を地域の居場所゛幸せの家・ありがとう゛で、展開しています。
地域密着型の統合ケアを小規模に実施し、特に認知症重度で終末期ケアなど、最期まで暮せる家としての居場所づくりを実践しています。
 地域の子ども達も゛時間通貨・ありがとう゛に、参加し車椅子教室も開催し、障害のある方の支援やご高齢になられた方達の゛生きがい支援゛で、外出時の車椅子は、とても貴重です。
今回の貴社からの素晴らしいプレゼントは、私たちの活動目的である「優しい、そして、安心して暮せる町づくり」のため、地域のみなさまに、お喜びいただけることをお約束致します。
 また、株式会社 アスティスさまの、゛愛゛で、新社会をみんなが愛する社会にしたい。との経営指針に感銘し、私たちも、なお一層「愛する徳島の地で幸せづくり」をして参ります。
 今後とも引き続き、ご支援、ご指導下さいますようよろしくお願い申し上げます。
 取り急ぎ、お礼を申し上げます。・・・当日のお写真です。

★徳島県プラザより推薦して頂きました。感謝でいっぱいです。

〜みんなで支え合い、愛する住み慣れた地で
                 愛する人々に囲まれて、暮らしましょう!〜 

2010・9.21・・ 魔法の言葉〜ありがとう〜添えて・・・ 

 ★市民後見人活動 〜自分の人生は、自分でデザインしょう!〜
★〜さぁ、みんなで、幸せづくり!〜
成年後見制度は、介護保険制度と同時にスタートしましたが、まだまだ成年後見制度は介護保険制度のように認知されていません。
介護保険制度で、介護サービスを利用する為には、契約を結ぶ必要があります。
高齢などで、ぼんやり症状があり、いろんなことが分かりにくくなった時、介護サービスの契約
成年を誰かにお願いしなくてはなりません。介護保険制度の利用者のおよそ半数が認知症とも言われています。が、そうなった時、自分の財産管理や身体的処遇など、守ってもらうべきこと守られず、その結果、高齢者虐待や悪徳商法などの標的となりかねません。
このようなことの招く危険性が分かっていながら、この制度が利用されない理由として制度を知らないことや自己責任についての考え方が欠如していることがあげられます。
また、後見人として安心して頼める人を見つけ、後見人に支払う謝金の問題などもあります。私達は、成年後見人制度を理解し、そして、専門家からアドバイスを受けながら、市民が市民後見人として活動することが、最期まで安心したシニアライフを実現することでしょう。
                        皆さまのご参加をお待ちしています。

     〜みんなで支え合い、愛する住み慣れた地で愛する人々に囲まれて、幸せづくりをし            ていきましょう!  〜そして、安心し平安に暮しましょう!〜

 ★連絡・088−692−3457・世話人・呼びかけ人・松田 美奈子・麻野 信子 
                     
                        魔法の言葉〜ありがとう〜添えて。

 ★遺言 @・優しい言葉を家族に残し゛さよなら゛をしました。

 91歳の肝臓癌末期でした。
 一人暮らしで、終末期となり介護施設に入所した。病気になり、一度、ボランティア活動でお会いしたが、その後、突然、施設から連絡を受け面会。それは、死去する1週間前のことでした。
 面会に行くと、肝臓癌で全身黄色くなり、身体は、ますます小さくなっていた。
「私の人生は、何の意味も無い人生だった。」
「若い頃は、生活苦で10人もの子供を育て、そして、戦争。夫の戦死。4人の子どもが戦火の中で死んでいった。それでも、残った6人の子供と夫の両親をささえ、何度、死のうかと思ったことか。でも、可愛い子どもの寝顔をみては、思いとどまり頑張った。」と、一気に話した。
 その後、疲れたのか、しばらく目をつぶっていましたが、そっと手を私の手に重ねてくれた。小さな冷たい手だった。「ありがとう。」と両手で握り返すと、初めて、口元がかすかにほころび、閉じている目から涙が溢れた。
 それから、しばらくして、「家に帰れますか?・・私は、もう死にますか?」とつぶやくように話した。        (下に続きます。)

      〜人の尊厳をまもり、優しさを伝えよう!
            愛する地と愛する人々の中で暮らそう!
                  そんな社会をみんなでつくろう!

      2010・9・5・魔法の言葉〜ありがとう〜を添えて・・

 ★遺言 A・ 優しい言葉を家族に残し゛さよなら゛をしました。

 また、しばらくして、今度は、とても穏やかな表情となり「実は、あなたに頼みたいことがあるの。」と、今度は、凛とした様子で、真っすぐ私を見つめていた。
 ゛この話で、呼ばれたのだ。゛と感じ、衰弱したその身体を抱きかかえるように寄り添った。「けんじさんや家族に、゛私は、幸せだった。゛と伝えてほしい。」と話した。「幸せだったと伝えるのですね。」と聞き返すと、わずかに微笑んだ小さい顔がうなずいた。そして、そのままうとうとと浅眠状態となり、5日後、それは、静かな旅立ちだった。
 介護施設の連絡先は、公的機関とさわやか徳島で「独居」となっていた。
「けんじさん」とは、息子さまの名前だろうか? いつか出会えた時、ぜひ、最期の言葉を伝えたい。
 終末に、「おかぁさん」と呼びかける人はいなかったが、こんな優しい言葉を残された人生。
とても素晴らしい人生だったと思います。  〜お会いできたこと。本当にありがとう!〜

   〜町づくりをみんなでしょう!
            優しい安心して暮せる町に!
                 住み慣れた愛する地と人々を護ろう!

      2010・9・5・魔法の言葉〜ありがとう〜を添えて・・

 ★東吾妻町・藍住町・愛荘町3町による「麻・藍・布」合同企画展について(ご案内)
★藍住、藍の館館長の阿部利雄さまより、ご案内を頂きました。
昨年、東京で実施されてテレビでもその模様が放映されていました。
東吾妻町は、日本一の麻・岩島麻を産する群馬県東吾妻町、高級麻布のむ産地・滋賀県愛荘町、阿波藍の里・藍住町の3町でそれぞれの伝統文化の魅力を紹介する企画展が、藍住の「藍の館」で開催されます。
山形県の「ベニ花染」も参加、華を添えてます。
阿部館長は、ぜひ、一服の清涼感を味わって頂きたいとのことです。

1、開催期間  平成22年9月18日〜20日
1、開催時間  午前9時〜午後4時30分
1、開催場所  藍住町歴史館・藍の館・・・088-692-6317
          ★発展する新しい藍住町にぜひ! 
    
     〜町づくりをみんなでしょう!
            優しい安心して暮せる町に!
                 住み慣れた愛する地と人々を護ろう!

      2010・8・27・魔法の言葉〜ありがとう〜を添えて・・

 ★普通の暮らしって何だろう?@・〜住み慣れた家で愛する家族と暮らすこと〜麻野 信子
★目覚めると病院のベットの中でした。
私を心配そうにのぞきこんでいる息子に「私、どうしたの?」と聴くと「突然台所で倒れ、救急病院に運びこまれて3日目になる」と涙ぐんでいます。そして、私は、脳梗塞と聞かされ、右手右足が麻痺し、声も充分出せないことを知りました。でも「どうして、私がこんなことに?」と何度も何度も自問自答して泣きました。それでも「3ケ月程リハビリすれば元気になる」と主治医から励まされ、必死でリハビリをしました。
 でも、入院生活の中で一番つらかったのは、飲み込みが悪くなったからとの説明があって、退院まで続いたどろどろの食事でした。頭の中では「あれが食べたい。これも食べたい」と食べ物のことばかり考えました。
 そして、自己言語療法の目的は「こんな食事はいや!」と、はっきりと言えるようになることでした。必死で練習し、やっと「こんな食事はいや!」と看護師さんに言うことができました。
 でも、看護師さんは「あら! 話せたね! すごい!」と驚いた後、でも、食事のことは、「そんな我がまま言わないで ! これが先生のご指示どおりの食事ですよ。」と笑って相手にしてくれず、こうして、食べ物のことをお願いしてる自分のみじめさに、声を忍ばせて泣きました。そして、家に帰ったら大声で泣こうと思いながら、大声さえ出せない哀れさに、また、泣きました。
 そして、入院から3ケ月たち、待ちに待った退院の日が来ました。リハビリはしたものの、右手右足は麻痺し、言葉も充分でないまま、医師から障害固定と診断を受け退院となったのです。その上、主治医から「今の状態では、家ではとうてい暮らせないだろう。」とアドバイスを受けました。(下に続きます。)

     〜町づくりをみんなでしょう!
            優しい安心して暮せる町に!
                 住み慣れた愛する地と人々を護ろう!

          2010・8・27・魔法の言葉〜ありがとう〜を添えて・・ 

 ★普通の暮らしって何だろう?A・〜住み慣れた家で愛する家族と暮らすこと〜麻野 信子
★愛する家族とも一緒に暮らせず、住み慣れた家にも帰れないと思うと、今までの自分の人生って、一体何だったのかしらと・・・。自分は世界一みじめな人間だと思ったり・・・。
そして、何度あきらめようとしても涙が流れ、退院したら自死をしょうと決心をしました。
そんな母親の様子に、「何とか自宅で暮らせないだろうか」と、息子が、近隣ふれあい活動仲間の麻野さんに相談に行きました。そして、まもなく念願の家に帰ることになりましたが、本当に家に送ってくれるのか。それともこのまま施設に送られるのかと家に着くまで心配で顔さえあげることができませんでした。
家に着き、居間に上がると、自分の為に介護ベットが用意され、ポータブル便器まで準備されています。思わずうれしさがこみ上げ、大声で泣きくずれました。そして、「ありがとう!ありがとう!」と力をふりしぼり息子にお礼を言いました。
「そんなこと言わなくていい! 自分の家に帰ったんだから、あたりまえのこと!」と息子も泣いています。迎えに来てくれた、近隣ふれあい活動仲間もみんなで、一緒に泣きました。
次の日、さっそく、さわやか徳島のデイサービスに参加しました。
そして、こんなことがありました。
それは、昼食のときの出来事でした。その日の昼食は、私の退院を祝った、近隣ふれあい仲間が作ってくれたおすしと初物のビワでした。
この3ケ月、どろどろ食で辛抱をして来た私は、配られたすぐ、思わずビワをツルリと食べてしまいました。そのことで、とっても驚いているスタッフやボランティアの仲間に、「昼食のおすしも゛全部食べる゛」と、断言しました。横にいた看護師が「主治医の言うことを聴かなくてもいいの?」と、大声で私を制止し、「もし、のどにつまれば、麻野さんが責任をとるの!」と驚いています。   
「責任は、・・私が・・・」と自分の顔を指さしますと、麻野さんは、「さぁ、大好きなおすしをお腹いっぱい召し上がって下さい。」とうれしそうに笑っています。また、あんなに我慢をしいられた入院生活ってなんだったのか?と、少々怒りを感じましたが、やっと、人らしい権利(尊厳)を取り戻せた様に思いました。 (下に続きます。)


       〜町づくりをみんなでしょう!
            優しい安心して暮せる町に!
                 住み慣れた愛する地と人々を護ろう!

          2010・8・27・魔法の言葉〜ありがとう〜を添えて・・ 

 ★普通の暮らしって何だろう?B・〜住み慣れた家で愛する家族と暮らすこと〜麻野 信子
 そして、いつの間にか、私には、お互いに寄り添い、一緒に喜びや辛さまで、分かってもらえる仲間が、できていることに、気がつきました。 
 こうして、私は、日増しに元気を取り戻しましたが、右手、右足は、麻痺したままで、人生の中途で障害を負った自分の心の受け止めに、辛い思いが続きました。    
でも、そんな日々の中、地域の居場所である「幸せの家・ありがとう」にくる子供達を見守ったり、お花づくりを教えたりすることで、以前の生活では手に入れられなかった喜びも手にいれることができました。また、自分自身が痛みを知り、人の痛みも分かるようになり、人に優しくできることも知りました。
  また、障害を持つことで「普通の暮しって、とっても難しい」と考えたり、障害を持ったことで「普通の暮らしって、とっても幸せなことなんだ」と考えたり致しました。

       〜町づくりをみんなでしょう!
            優しい安心して暮せる町に!
                 住み慣れた愛する地と人々を護ろう!

          2010・8・27・魔法の言葉〜ありがとう〜を添えて・・ 

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