★終末に寄り添うこと。@(2010年11月12日4寺27分死去されました。長い間、ありがとう!)
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★きれいな凛とした表情は、とても穏やかで、深い瞳は、心を伝えていた。 衰弱もすすみ言葉が話せなくなっていたが、「苦しいところは、無い?」と問いかけると「うん。」と。 「お腹、空いてる?」と問いかけると首を横にふり微笑んだ。 優しい主治医が「笑っている。」と驚かれた。 その夜になって、深い眠りについた。呼吸は、とてもリズミカルだが、時折、喘鳴が混じる。 一呼吸、一呼吸に耳をすませ、苦悩顔貌がないか、命のサインを見つめていた。 そんな自分に、作家・柳田邦夫氏の著書の中に「死者からエネルギーをもらう。」とあったが、「そうか。頑張れ!」と応援しているのだと体力に自信を持った。次の日の明け方近く永眠された。とても、静かな死だった。 きれいな凛としたお顔をみて、「死」は、永遠の安らぎだと強く感じた。
★お寺さまと話した。 人の死は、これからの地縁が一番大切だと。檀家についての長い説法だった。 終末期、命に寄り添い気持ちが高まっている私は、死後の世界の大切さや、檀家のしばりなどの社会常識の煩わしさに直面することになった。ここしばらく「命」と向き合い、燃え尽き症候群に近くなった私を説法しているお寺さま。「自由と解放」こそ「人の尊厳」だ。と考えている自由人の私に、一生懸命、檀家の縛りについて、誠実に、熱心に説法するお寺さま。 とんでも無い迷惑とストレスがかかったと思う。許してほしい。
★死去後、ご遺族の心のケアに一生懸命な私も含め、仏教のしきたりの中で、納得がいかないお寺側の説法を受け入れざるを得ない家族の姿に心痛めた。 死去するまでに、旅路の支度も整えた家族は、当然、檀家寺のことも考えたと思うが・・・・。反省は、どちら側か分からないが、兎に角、寺の役割について、勉強不足でもあった。 そんな中、私たちは、最期まで、家族の心に寄り添い見送った。 仲間のNPOも、家族の為、ベストを尽くした。どっと疲れがでたが、心は満たされている。
〜最期まで、人々の尊厳をまもろう! 新しい社会を歩もう! 優しい気持ちをもとう!〜 2010・11・12 ・魔法の言葉〜゛ありがとう゛〜を添えて!
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